リアルタイムにメタファーリファンタジオをプレイできたという幸運(ネタバレ有)
メタファーリファンタジオ、ついにクリアしました!

やはり100時間超え。余裕に超えましたよね。これは私がさくっとやるタイプではなく時間を使うタイプ(モブみんなに話しかける、見聞録全部読む、クエスト全部やる…)であることが原因かと。
10/14から始めて11/30にクリアしたので大体1ヵ月半かかったわけですね。118時間かけてるのに1ヶ月半。そりゃあ睡眠不足にもなります。
私はペルソナ5からペルソナ沼にハマった人間なので、そのスタッフたちが作ったゲーム………気になる………副島さんの画集にも少し載ってた?やつ………気になる…という風にそもそも買うか迷っていたメタファーだったのですが、
「迷ってるくらいなら買った方が早くね????」という旦那によって我が家にやってきました。
やってる内になんて素晴らしいゲームなのかと。
どんどんハマりこんでいきました。
私がメタファー前にプレイしてた直近のゲームがペルソナ3リロードだったのあって、システム的によりやりやすかったのも一因かもしれません。
システム比較するのもあまり良くないとは思うんですが、ペルソナ(特に5や3リロード)プレイ済でメタファー未プレイで迷っているという方に届けばなと。
メタファーにおけるもの→ペルソナでいうと
MP→ SP
王の資質→人間パラメータ
支援者→コミュ
アカデメイア→ベルベットルーム
モア(アカデメイアの入り口)→ベルベットルームの住人(ベルベットルームの入り口)
マグラの穴(ダンジョン内休憩スポット)→セーフルーム
妖精眼(敵の強さやダンジョン内の抜け穴などがわかる)→サードアイ
…くらいですかね、他にも何かあったかも。
あとは日付式(日付という概念があって1日は昼と夜のときに行動できて支援者と過ごしたり等をすると時間が経過する)なので、そこも似てるかな。
なのでペルソナをプレイ済の方はシステム面はかなりとっつきやすいと思います。
ストーリーの中では兄弟愛というか家族愛がかなり取り上げられているのが印象的。王子とその両親を始めとして。
・パーティーメンバー
マグナス兄弟、シグナス姉妹、ストロールとその両親、ハイザメとその子ども、エディンとユーファ…。
・サブキャラ
マリアとグライアス、マリアとファビアンヌ、アロンゾと育ての母
・本編中
ジョアンナとその子ども
フィデリオが庇ったあの一家
他にもあったかな…?思い出せるのはこれくらいですかね。
他の作品でもある程度そのあたりを扱っているのは見かけますが、どこかが手薄になる印象がありまして。
関係性3つくらい扱ったら他は特にとかそんな感じ。(他キャラの家族掘り下げ一切なしとか、天涯孤独多めとか)
それはゲーム自体のボリュームをある程度抑えるためだったり、注目して欲しいメイン部分を邪魔してしまわないように敢えて作らないとか削ったとかあるんだろうなあと思います。あまりにいろんなもの取り上げすぎてとっ散らかって、で、何が言いたいの?って終わるのは最悪ですもんね。
それをたくさん取り上げることが出来ている。それはプレイ時間100時間前後想定だから出来るんでしょうね。作り手はもちろん、受け手も「アトラスだしどーせ長いんだろうな」みたいな謎の期待があるという。それが成り立ってるからこんな作り方が出来るのかなと。
更に特筆すべきはその様々な関係性が似たり寄ったりになっていない、ということ。
一口に家族愛と言っても、血が繋がっている人もいればそうでない人もいる。種族が違う人もいる。亡くなってしまった(しまう)人もいる。
血なんて関係ない。種族すらも関係ない。死んでしまったとしても生きている側が思い続けて大切にすることはできる。遺志を継いでいくことも出来る。
そして死んでしまったことを受け入れられず絶望して投げ出してしまう人だって描かれている。
投げ出していたけれどなんとか受け入れていく人も描かれている。
ここまで多岐に丁寧に描かれているゲームあるのかな…?私が知らないだけかもしれませんけれども。
また先に家族愛と括ってしまったけれど、それも個々で関係性はかなり違っているんですよね。
例としてマグナス兄弟とシグナス姉妹をあげますが在り方は随分変わっています。
マグナス兄弟
フィデリオ:バジリオを失いかけたことからとにかくバジリオ第一
とにかくバジリオに笑っていて欲しいと手段を選ばずに守ってきた
そのため警戒心は強いし割と容赦はしない
実力さえ示せば居ることを許してくれたルイへの恩義がかなりある
主人公たちをなかなか信用出来なかったのはこのせいか
バジリオ:フィデリオに守ってこられたせいか結構素直
そのおかげかなんにでも警戒するというわけではないらしい
ルイへの恩義ももちろんあるがそれよりもフィデリオをとにかく信頼していると同時にフィデリオを案じてもいるのでルイよりも主人公たちのほうが信用出来ると思えばあっさりと考えを変えられる
シグナス姉妹
レラ:汚れ仕事を請け負うシグナスに生まれ、権力にへつらう両親を尊敬も出来ず自分もそういう人生になるのだと絶望していた
そこで引き取られてきたジュナが眩しくて憧れた
唯一の光と言い切っていてそのジュナを失うくらいならと仕事を請け負う
12歳にして魔術に長けており、既にシグナスの裏稼業を知っている…つらすぎないか
ジュナ:シグナスに引き取られてきた奴隷にされていたニディア族
引き取られてきたあとはレラの口添えで魔法学院へ通えた
そして歌手を目指し誰もが知る歌姫になった
歌姫として成長するために間者になるってなかなかすごい覚悟だと思う
そしてシグナスの裏稼業は知らなかったようだから、養子には教えないのかな
この通り兄弟と姉妹でもだいぶ違う。
ジュナが養子で種族が違うとかそういうことを差し引いてもかなり違う。
状況が違うのだから当たり前かもしれませんが、それを丁寧に描き切ることがどれだけ難しいことか。
そして家族愛をあげていると、じゃあ家族は必ず愛さなければならないのか?家族至上主義か?みたいになってくると思うんですよね。家族が居ない人、家族が居ても事情があって距離がある人、等いるのに?って。
または家族愛は一旦置いて他の関係性だってあるんじゃないかというのもありますよね。友情、恋愛…。
そこもちゃんとカバー出来てるんですよね。
ヒュルケンベルグ:実家との関係性が微妙
かなりの名家みたいだけどそれを利用したり利用置いといてもアルタベリーに来た際にも顔を出す気はないらしい
ニューラス:実家と無縁というわけではないが結びつきが強いわけでもない
持ち込まれたお見合いを拒否していてもそれが許されるくらいには身内はニューラスを理解できている(諦めているのかも?)わけで
それを甘えてしまっているという決まりの悪さもある程度あるけれども生き方は曲げないニューラス
ちょうどいい?距離感なのかなと
ベルギッタ:そういったものがない
ただ生きていくために…という生き方をしていた人間からの金銭と「死ぬなよ」って最大の声かけだと思う
バードン:仕事に打ち込むあまり妻子には逃げられた
支援者として過ごしている途中でも行き過ぎて村人たちの支持すら失っていくが真摯な取り組みを認められて皆とマルティラを良くしていこうと誓う
ざっくりとあげましたが、いろんな関係性を取り上げていましたので、「なんか家族いない人ばっかりだな…」とか「家族!友情!恋愛!素敵!…っていうのばっかりだな」とはならないのでそこは本当に良いなと思えるポイントでした。
他にもこれは本当に何にでも言えるというか、現代社会に訴えかけられているのではないかと思えるものが多く、考えさせられましたね。
・ビルガ島の壁画
真実を知ったら違って見えるという話がありました。
巫女は生贄ではなく実は槍を持って戦っているところを描いているだとか。
長い間、疑いなく信じていたものでも見方を変えれば全く違うものが見えてくる。それが打開策につながることがある。
これは何にでも言えるではないかと思いました。
島の風習ほど極端なものではなくても、私たちだってなんの疑いもなく信じ切っているものがある。大きく言えばこの国の話であったり、身近なことでは家族というものだってそう。これが当たり前だと思っていても他の人と話してみたら「あれ…?」となることもそこで気付きを得て進む道が見えてくるものだってありますし。
この話もそうですが、全世界に発売しているものなのにかなり攻めた内容が見受けられます。
他にあげるとするなら。
・宗教
そこもただの批判だけではなく丁寧に描写されていることに好感が持てました。
アトラスは日本の会社で、制作している方々も日本人が主体だと思います。
そうすると宗教の描写をするときにどうしても薄っぺらくなりがちな気がしているんですよね。
宗教=悪のイメージで描かれることが多いというか。カルト宗教になりがち。それはどうしても日本人にとって他国ほど宗教があまり身近ではないし、日本の近代史における宗教というとあのカルト宗教の行いが
どうしても浮かんでしまうというのがあると思うんですね。
それに加えて、他国はどうなのかわかりませんが、日本の教育上、世界史や日本史で扱われている宗教をザッと見ると「宗教ってない方が平和じゃない…?」みたいな取り上げられ方をしているんですよね。
戦争の火種(言い訳)になったり、利権の隠れ蓑になったり、上層部から民に対する都合の良い目眩しになったり。
そうすると宗教の基礎知識としてはよろしくないものとして刷り込まれているようなものでどうしても良いものとして描かれない作品が多い。…と個人的には思います。
そこをこの作品は良いも悪いも描かれていたんです。
悪いところとしては先に上げたような利権の隠れ蓑(権力者の汚職)とか民への目眩し(王権競技会)とか戦争の言い訳(エルダの郷を強襲)…等。
良いところだってある。それはレラが特に言っていたと思います。
教え自体が嘘であったり間違っているところもあるかもしれない。でもそれを信じて救われたというのは嘘なのか。誰も彼もが強くなれない。だからと心の拠り所にしているものを間違っているとして取り上げることは正しいのか。支えを失った人々はどうすればいいのか。
宗教のおかげで立つことが出来ている人だっている。何を信じて救われるのか、もしくは信じないのかを他人に決められる謂れはない。それは自由であるべき。所謂信仰の自由ですよね。
ギドも利権に絡め取られるタイプかと思いきや(王権競技会での悪い顔的にね…)、単純に真面目に惺教を信じていた故に教主であるフォーデンに追従していただけだったというのが哀れでしたね。信じていたものが一気に無くなった彼の狼狽っぷり。惺教信者としての姿の代表が彼なんでしょうね。
ムツタリ族でもそうでしたが、教えを信じることは悪くはないけれども盲信することの危険さが打ち出されていたのかと思います。
・種族間差別
見聞録を読んでも、街の様子を見ても、いろんな人たちの言い様を聞いても、差別に塗れていましたね。
クレマール、ローグ、ルサントは上流階級。
イシュキア・二ディアは少し変化球気味。イシュキアは技師だったり商人だったり、二ディアは目立つ容貌と姿を偽っているからということで職業が少し一癖あるらしい。
ユージフ・パリパス・ムツタリは差別される。だが、差別され具合は少しずつ違う。
ユージフは職業選択の自由が狭まったりするらしい。(正騎士団ではなく特務騎士団になったというハイザメの例)ユージフというだけで倒れていても見て見ぬふりをされたりもするという。
パリパスは恐らくユージフよりも職業選択ができないように見える。処刑人や賞金稼ぎ、飲食店経営、商人もいるが、パリパスというだけで買ってもらえないこともあるらしい。街で行き倒れになっている人もパリパスが多いように思える。
ムツタリは異教徒であることからかなり避けられているか好奇の目に晒されているイメージ。三つ目であるが街で出会うムツタリは仮面を被っている。そのせいでどちらにしても目立つというのも余計に奇異の目で見られる原因になるのかな。
これは余談ですが、あの仮面、ひとりひとり形が違うけれどそれに関しては特段説明がされていない(と思う)のであの形はどう決めるのか教えて欲しい。形は建物みたいだけど、エディンの仮面は結構立派なので階級?によって豪華さが決められたりとかして。それとも単純にファッションなのかな。
エルダが一番差別されている。歩くだけでヒソヒソ。歩くだけで災厄を寄越すのではとまで言われる。言い過ぎ。郷が焼かれたのもあってか本当にエルダは外に居ない。もしかしてクレマールに紛れていたりもするのかなと思っていたりもする。その辺どうなんだろう。
…という風にとにかくいろんな差別まで丁寧に描かれている。種族によって制限の幅が変わってくるというのが妙にリアルで「うへぇ…」と思いましたよ。うわぁ…とへぇ…が混ざって「うへぇ…」。
種族間ハーフの扱いもシビアでなかなかに辛いものがありました。
王権競技会の候補者が出て来たことによって支持者たちとその考えや想いが可視化されていたせいで差別的な思想もよりわかりやすくなっていたのかなと思います。
・平和ボケ
民から不安(マグラ)を吸い取り王笏に集めていた。
その結果が安穏として己の不安すら抱えていられない他人任せな民たちの出来上がりになったと。
決して良くない国の現状を誰かがなんとかしてくれる(国王か、惺教か、ルイか、他の誰かか…)。
そして弱者の現状は自己責任論(変えようとしない又は変えられない者が悪い)。
これはまんま安穏とした他人任せのぬるま湯みたいなこの日本の現状に一石を投じたのではないかと思います。
これ以上語ると政治的な話になっていくので深くは触れませんが、とにかくまずは考えてみる・行動していることの大切さを訴えかけているのかなと。
ここまでで十分拍手喝采なんですけれども、個人的に挙げたいところがあります。
・女キャラの露出度が低い
パーティーメンバーに3人女性がいれば、ほぼ水着みたいな格好で戦うキャラがいたり、そうでなくても無駄に胸元を開けてるキャラがいたりすることが多いと思うんですよ。もしくは全身ピチピチの服で無駄に胸が揺れるとか。
でも、この作品だとそうではない。胸を揺らす女性キャラはいないし、しっかりタイツ(?)まで履いていたりします。肌が出ているキャラもいるにはいますが。1番出ているのはガリカかな。でも胸元は開いていない。
なので「服を着なさいよ…」とか思うことなくゲーム出来てストレスがなかったように思います。
・モアの声優がCV子安武人でよかった
某声優さんが恐らくモアの声だった説が出ていましたが、やればやるほど子安さんでよかったなと思いました。
モアに合っているというのはもちろんなんですが、モア(ナレーション)がこのゲームで1番セリフが多いので、モアの声がする度に不祥事が過ぎるのは正直キツすぎる。
しかも終盤の展開的にも余計にあの不祥事はキツい。
かなりのセリフ量で、しかも録り終えていたとのことだったので声優を交代するにあたってかなり大変だったと思う(代わりの声優さん選定にしても子安さんが急遽であの量を録るのも)ので、その決断を下したアトラスチームは素晴らしいと思いました。
・都合よくハピエンではない
最後の戦いを終えて全てが大団円、国も人も全てがhappy!
…で、終わってないんですよね。
戦いを終えてから街で支援者及びモブたちと会話が出来るんですけれども。
結構色々言ってくるんですよね。
もちろん感謝を述べてくる人たちもいるんだけれど。
「〜を進めようと思っているけれども、まだまだ⚪︎という問題があるから一歩ずつ…」という現実的な話をしてくる人もいれば、「ずっと自分はここで倒れていたけれどもお前は自分を助けてくれなかったよな」というような恨み言を言う者、「自分の周囲を仲良しで固めている」だとか、「自分たちは君たちの活躍(最後の戦い)を見ていたから応援できるけど、見ていなかったら微妙かもな」とか。他にも色々。
ただありがとう一色ではない。まだまだ問題は山積している。
だからこそ最後のみんなで旅に出るというところに意義が出るわけで。
そして旅に出たのもそうだし、この作り込み。本当にこのタイトル単発か?というのが気になる。
もし続編が出ないならあのレベルで作りこんでもったいないなと思いつつ、ある種潔いなとも思います。
出るとしたら、だよねー!!って、あの終わり方だし。
…正直、続編の前に完全版が出るんじゃないかなと思いますけどね…。
最後に、メタファーリファンタジオとはなんなのか。
メタファーの世界の中ではこちらの世界が幻想として途中までは理想の世界という扱いをされていたように、私たちにとってはメタファーの世界が幻想で夢を見ているところがある。
こちらの世界…この現実をファンタジックにコーティングし直して風刺的に問題提議したのがこの作品。メタファーリファンタジオなのではないか。
そう私は思います。
あくまでこれは私個人の一解釈に過ぎません。
作り手からしたら全然違うかもしれません。
それはそれとして、この体験を是非、自分自身で味わってみて欲しいです。